湘南医療福祉専門学校

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深澤先生のブログ「東洋医学とスポーツ#14」

新学期が始まってから、既に一ヶ月以上が経ちました。
初めて東洋医学に触れる方、ある程度の経験を持って学び始めた方・・・色々だと思います。
その感想もまちまちではないでしょうか?それでも、東洋医学の世界に足を踏み入れた「きっかけ」というものが、皆さんの中にも存在するのではないでしょうか?

今回は、私の「きっかけ」を中心に東洋医学との関わり合いについてお話してみようかと思います。

私が初めて東洋医学を学んだのは、23歳の時でした。それまで、野球というスポーツを行ってきた中でケガや故障を経験し、何も知らずに鍼灸治療を受けたりマッサージをしてもらったりしたことはあります。

私自身、小学3年から野球を始め6年生の時には既に「右肘の遊離軟骨」を抱えてプレーしていました。
中学の3年間は右肘の負担を軽減するために本来の投手から野手に変更して、痛みを抱えながらプレーしていたのです。
こういう状況だったので、私が最初に体験したのは「西洋医学」でした。

その後、高校でプレーするために中学3年の夏の大会が終わってすぐに「遊離軟骨の摘出手術」を受けました。
現在のスポーツ医学がまだまだ身近でなかった時期に、たまたまスポーツ整形を主に活動されていたドクターに出会うことができ、私の野球に対する想いを理解してくださって対応してくれた先生に今でも感謝しています。

また高校2年の時には「腰椎分離症」を経験し、手術はしませんでしたがこのドクターにお世話になったのです。
ですから私が最初に体験したものは上述したように「西洋医学」だったのです。
野球に限らずスポーツを行っている人は多かれ少なかれ西洋医学か、捻挫や打撲などの外傷の処置は「接骨院」を訪れる人が多いと思います。 

しかし、よくよく考えてみると私が最初に関わった西洋医学では「根本的な対処」をしてくれましたが「機能的な改善」という部分では、その病院にリハビリ担当として勤務されていた「鍼灸・あんま・マッサージ・指圧師」の先生が対応してくれました。

当時は「遊離軟骨摘出術」の後でも、肘関節をギプスで固め1ヶ月程度安静を保ってから肘関節の伸展を出し関節可動域を改善するために、マッサージ・鍼・エクササイズなどを行っていました。
当時の整形外科の中でドクターと東洋医学の従事者がここまで密接な関係と信頼を持って活動されていた病院は無いと思います。
結果、肘関節の可動域は改善され筋力も戻り3ヶ月かからずに復帰できたのです。
本当は先生の許可無く投げてしまったのですが・・・でも痛み無く思い切り投げることができ、大学4年までプレーすることができました。

もちろん、手術してその後もサポートしてくれたドクターに対しても恩義を感じていますが、肘関節の可動域と筋力改善をしてくれた東洋医学の先生に感動を与えられたことは言うまでもありません。

そして大学時代に受けた鍼灸治療が、トレーナーという世界に興味を持たせ、この道に進もうと考えた一番のきっかけになりました。
大学3年生の春のリーグ戦中に、突如として今まで経験のなかった肩痛に見舞われました。
私は意外と肩が強く遠投という練習でも(一般的に高校・大学レベルであれば90mくらいが平均で投げられる距離です)100m以上投げることができましたが、この時は本当に痛くて5m投げるのもやっとでした。

この状況を見守ってくれた大学の監督に強制的ではありましたが(笑)鍼灸治療を勧められたのです。
夏の合宿中に練習の合間を縫っては治療に通い、4日間続けて鍼治療を施してもらい回復することができたのです。
正直信じられませんでした。しかし、本当に痛みが消えて遠投も以前と同じように投げることができたのです。

この時は、東洋医学の世界に足を踏み入れるということなど思いもしませんでしたが(本気でプロ野球選手を目指していましたから)、この時の体験が私をこの世界に踏み込ませた決定打的な感じが今でもしています。

「野球選手を諦めたものの、しかし野球に関わる仕事がしたい」これが、まず最初に私が出した方向性でした。
野球に携わる仕事?果たして何があるのか?学生野球の指導者?球団職員?色々考えましたが、すぐには答えは出ません。
そんな時、ある人から「トレーナー」があるじゃないか!とアドバイスを頂いたのです。

その時に思い出したのが「右肘手術」の後に担当してくれた東洋医学の先生と、右肩痛を消失させてくれた鍼の先生のことでした。

私自身、いくつかの外傷・障害を経験しその都度道を開いてくれた人たち。それが東洋医学に関わる人たちであり、この自身の経験がこれからの選手の役に立てるなら。という考えがまとまり「東洋医学の道」に進ませてくれたのです。

実際に私が、選手たちの役に立てているかどうか?はさておき(笑)こういった経験が活きてくる仕事だと感じたのです。
しかし「東洋医学」の道は険しいです。自分の熱い気持ちはとても大切ですが、日常的な努力を怠ったら結果は出せません。

スポーツ選手に限らず、治療院に来てくれる患者様たちに対して常に向き合い、努力と情熱を注ぎ続けなくてはならない職種です。
だからこそ、大変な仕事だけど楽しいのかもしれません。

今回は私のきっかけについてのお話でしたが、次回はもう少し厳しい話をさせてもらおうか?と考えています。
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