第5回 No Heart No Gain

2011年08月29日 12:28日

最近の異常気象・・・何かが変です・・・日本だけでなく、世界中でおかしいと思います。
文明が進化し過ぎて、きっと地球が怒っているんじゃないか?と思います。

まあそんな話は置いておいて!今回は、と言うより今回も「野球」についての話をさせていただきます。
毎年8月に行われている「高校野球」ですが、私のトレーナー人生のルーツもこの「高校野球」にあるように思います。

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私が野球を始めたのは小学校3年生の時です。元々野球にはあまり関心が無く、父親がプロ野球の中継を見ているのもつまらなく感じているほどでした。野球を始めたきっかけは、ただ単に友達の多くが少年野球チームに入ってしまったため遊び相手がいなくなってしまったからです。

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私も土曜日曜に遊ぶ友達がいなくなってしまったので、仕方なく少年野球チームに入りました。そんな志の無い気持ちでチームに入ったので野球の練習自体も面白く無く、ルールさえも覚えていないくらいでした。

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そんな時(小学校5年生頃だったと思います)にチームの皆で「高校野球神奈川県予選」を見学に行くことになったのです。
それでも「高校野球」を見るということに意味を感じてはいませんでしたが、保土ヶ谷球場に到着し球場の中に入るとそこは熱気に溢れていたことを覚えています。

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子供心に「何か違う」という感覚を持ちました。
対戦カードは準々決勝だったと思いますが「東海大相模 対 武相」です。現巨人監督の原辰徳氏がまだ高校1年生でレギュラーとして活躍されていました。
その格好良さに私は見とれてしまい、またチームとしてだけでなく学校全体として戦う姿勢に大興奮してしまったのです。

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その頃から野球が好きになり興味を持ち、特に高校野球は神奈川予選だけで無く甲子園大会までテレビに釘付けになり見入っていました。
「俺も野球が上手くなって甲子園に出たい」なんて夢を描くようになり、身近な部分では「東海大相模」に入って野球をやりたいと思うようになってしまったのです。

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実際には、色々な事情があって「相洋高校」に進学したのですが・・・それでも「甲子園に出たい」という想いは消えませんでした。
少年野球で下手くそだった私が、努力してやっと手に入れた「エースの座」でしたが無理がたたったのか「肘関節の障害」を持ってしまい、ドクターからは野球をやめるように勧められました。それでも、あの日に見た高校野球への憧れと甲子園の魅力を諦めることは出来ず中学3年の夏の大会終了後に肘の手術を受け、野手として甲子園を目指すことを決意したのです。ただ「甲子園に出たい」ということのためだけに!

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結果的に甲子園に出場する夢は叶いませんでしたが、野球が好きでなかった私が手術を受けてまでのめりこんだ高校野球に費やした3年間は貴重な経験と意味のある時間だったと今は感じています。
そして、高校野球でプレーして甲子園に出場出来なかった悔しさは自分で抱えてしまった「肘の障害」にも要因はあると感じ、これから自分と同じように「甲子園」を夢見る野球少年に故障で夢を捨てて欲しくないという想いがトレーナーという仕事に結びついたと思います。

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これからトレーナーを目指す皆さんにも、色々な想いがあると思います。
どんな理由にせよ、そのトレーナーを志した理由と気持ちを忘れずに前進して行って欲しいと思います。そうすれば、自分のトレーナー人生を楽しく過ごすことができるはずですから。

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P.S
甲子園に出場することはできませんでしたが、ヤクルトのトレーナーとして甲子園球場に足を踏み入れ試合中に起きた選手のアクシデントでグランドに立つ事ができましたよ!これである意味甲子園に出場する夢は叶ったのかも知れません。

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広報室
湘南医療福祉専門学校